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2008年1月の3件の投稿

2008年1月25日 (金)

1.23 いのちのつどい@吉野

1月23日・水曜日

旧暦:師走十六日(大寒+2日)
13月暦:Resonant Moon 14th(kin234/blue magnetic eagle)

「いのちのつどい」
場所:見附三茶屋(奈良県吉野郡)

内容:
・「六ヶ所村ラプソディー」上映
・冨田貴史、坂山保之(土鍋かふぇ楽ちゃん主人)と語らい
・「六ヶ所村通信 番外編」上映
・「六ヶ所村ラプソディー」上映

地球が太陽のまわりを回り春分からちょうど300度のポイントにたどり着く

二十四節気の「大寒」。
ちょうどこの日に、星のめぐりを知らせる時報が鳴るように、雪が降りました。

ということで、吉野の山や谷もところどころ白が残っていました。
雪に洗われて澄み渡る空と、奥行きのある風景に、気持ちも落ち着きます。

この日は、昨年の秋に行われた「吉野いのちのまつり」と同じ会場でおこなわれた「いのちのつどい」に参加させていただきました。

インド家庭料理の「モハマヤバート」、

天然酵母パンの「ファミリエ」、

土鍋料理の「土鍋かふぇ楽ちゃん」の出店もあり、

ゆるやかで落ち着いた雰囲気のまま一日を過ごすことができました。

各上映ごとに20人前後の方が見てくださいました。
そして、映画を見てもらった後に、再処理の近況、映画で触れられている内容の補足、

映画に出ている方々の近況、映画を見た人たちのその後の取り組み、などをお話し、

質疑のキャッチボールを行い、
楽ちゃん主人のやっちゃんの六ヶ所を訪ねた旅のレポートを聞きました。

マスメディアが伝えることの難しい内容のひとつに、ローカルな情報があると思います。
または、ローカルな人びとが何を思い何を感じているかという情報です。

ひととひと、地域と地域の間につながりを生み出したいなら、
その両者の間にある心やくらしという、リアルな情報を交換する必要があるでしょう。

イベントをやっていると、
人数を多く集めれば集めるだけいいのだと、そう思い込んでしまうことがあります。
しかし、集まる人数によってできること、できないことはあるし、

動員のイメージは目的に応じて柔軟に描いたほうがいいと思います。

ただ事実を知らせるだけなら、もっと違う方法もあるでしょうが、
僕は出会った人びととの交流を深めたいと思っています。

その、両方のアプローチがあって、バランスがとれるんじゃないかと。

「みなさん、どう思いますか?」
ではなく、
「あなたはどう思いますか?」
と問いかけられる距離で話がしたいです。

よいわるいではなく、好みですね。僕はそれがしたい、という。

これから先の未来、震災や天災は続くでしょう。
血の通った交流で結びつくことの大切さを思います。

やっちゃんの旅話。

一人の体験した旅の話をみんなで聞く。

マスメディアの掲げる「客観報道」という幻想。
市民ジャーナリストによるニュースを提供し続けている「PJニュース」の小田さんは、
主観をはさまない客観報道などありえないと断言します。
政府からの圧力や批判をさけるためのような、当事者意識のない報道は、
客観報道ではなく「傍観報道」であると、僕もはっきり感じます。

当事者から当事者への生々しい情報交換が、

これからの世界のシフトの骨組みになるでしょう。

祈り続け、語り続け、聞き続ける。今ここで、ここにいるひとりひとりの言葉から祈りを聞き、

心を聞き、美しさを聞く。

原発のような大きな装置で膨大な電気を生み出し、それをみなで分け合っている社会。
小さな電源で発電して、それを小さな地域で分け合っている社会。

僕は後者を望みます。
小さな循環を大切にしたいです。

電気の循環。
水の循環。
情報の循環。
サービスの循環。
お金の循環。

思いの循環。

いのちの循環。

渡す、受け取る。
作る、使う。
語る、聞く。
助ける、助けられる。

吉野の里は、そんなところに僕の意識を持っていってしまう、

不思議なバイブレーションに満ちた、気持ちのよいふるさとでした。

十六夜の月が、雲の向こうから見守ってくれていました。

写真の解説:
1、吉野の山谷

雪ふってました。

2、布にメッセージを描いている子供たち

当初は「六ヶ所村ラプソディー」の上映は1回のはずでした。
しかし、近所にある合宿型のフリースクール「NOLA」の子供たちが

夜だったら観れるということになり、追加上映を行いました。
みな、まっすぐな目で真剣に見ていました。
ショックだったようですが、怒るでもなく落ち込むでもなく、

落ち着いて受け止めていたように感じます。

地元青森では、大多数の人びとが再処理を容認しているといいます。
おかしいと思いながらも容認している人びと。
その中で反対の声、心配の声をあげている人たちは変わり者と呼ばれたり、

騒ぎ立てるなと釘を刺されたり、孤立したりしています。
その姿が、学校というシステムに適応できない子供たち、

適応したくない子供たちの姿と重なって見えます。

そして、そんな中で自分たちのコミュニティを見つけ、暮らし、学んでいる彼ら。

彼らの生活そのものが、映画を受け止める落ち着いたありようににじみでていると

感じました。

現実を見て、現実と向き合い、現実に”自分らしく”関わっている者の強さを身につけていきたいものです。

そして、どんな思いを持ち、どんなハートを持ち、どんなからだで生まれてきても暮らしやすい、排除や差別や格差のない世の中を、心から望みます。

この布は、3月16日に仙台で行われるウォークで持って歩く、メッセージ布です。

3月16日のウォークで持って歩く布を集めています。

Photo_5 Photo_6

2008年1月19日 (土)

305【who am I ?】

僕は、2003年頃から原発というものを通じて、さまざまな人達と出会い、思いに触れ、彼らの思いというよりはもっとシンプルに彼らに共感し、いつしかそんなことばかりを考える日々になってきて、
今に至っている。

2003年に務めていたソニーミュージックを退職した。
4年間、勤務したソニーミュージック。
僕の、学生時代までに積み重ねてきたあらゆるものが吹き出て現象化したような4年間だったような気がします。

まったくもって仕事はうまくいかず、
というか、嘘はつくし、物忘れはひどいし、失敗をかくすし、社員やスタッフの皆の輪の中に入りたがらないままという状態がずっと続いた。
最後の1年間、3年間マネジメントプロダクションにいた僕が完全に自分のビジョンを見失ってしまっていることに、ふと気付いた。

そしてふと、ここの環境を抜け出す、という手段があると思い立ち、
直属の上司や先輩や仕事仲間の全員に一切相談することなく、異動の希望を出した。

抜け出したかった。
逃げたかった。
そのような思いからの選択だったようにも思うし、
何かを切り捨て、何かをリセットしたかったような気もする。

そうやって人間関係を、切り離すことが出来ると思い込んでいた。
それを切り離すと同時に自分の過去が切り離すことが出来ると思い込んでいた。

人事異動の希望を出してすぐ、
仕事の相方が会社を辞めると言い出した。
突然訪れた変化、
増える仕事、そして判断出来る裁量が広がり、
仕事が楽しくなってきた頃、
色々な関係性が変化してきたようにも思えてきた頃、
異動の希望を取り下げようとお願いをしなおした。
そして、その直後、名古屋への異動が決まった。
営業部への異動。

ショックだった。

その時の僕は、自分自身のショックにしか、思いは至っていなかった。
直属の上司や、面倒を見て下さっていた先輩や同僚の方々のさみしさなどの思いなど、
想像することはなかったように思う。

中学生時代に、ひょんなことから生徒会長にまでなってしまった頃からだと思うけど、
僕は外に見せる自分と内側の自分と言うか、見せたい自分と見せたくない自分を、
分けるようになっていたような気がする。

どう見えるか、どう聴こえるかを、考える。
ゼンソクだった僕の心の根は、弱気なものだったし、
認められることが嬉しかったということも、何かを隠す、その癖を育てたひとつの要因かもしれない。

そんな僕が隠してきた、うやむやにしてきた性質、行動、その結果に対して、
あやまるということが苦手になってきたりもした。
正当化したがるということ。

僕はそんな自分の負の部分が垂れ流されていく様に慌て、自分を見失っていき、
勝手に上司や先輩や仕事仲間を、攻撃してくる対象として捉え、見失い、彼らを切り捨てた。

僕は今になってようやく、そのときの上司の気持ちに対して、
あやまっていないことに気付いた。
それまで育てて下ったのにもかかわらずだ。


僕は当時、そうやって東京を離れることに対して徐々に気持ちを切り替えて、
いっぽうで新しい土地と仕事への期待を膨らませながら、名古屋へ引越をした。

そして僕は、やり直せたと思う。
名古屋営業所に配属されてから、自分でも精一杯仕事をした実感があるし、
仕事をしたと思ってもらえたとも、思っている。

少しずつ、自信を取り戻してきたというか、
正気を取り戻してきたというか、
名古屋でのゆったりとしたスケジュールでの仕事と、
仕事やプライベートの中で出会う、名古屋の、福井の金沢の人びと。
だんだんと、正気になっていく中で、
自分のしたい暮らしが見えてきた。

東京にいた最後の1年のあいだに、僕は座禅という言葉に出会い、
禅の世界を語る本のいくつかを読んだ。
そして、呼吸に意識を向け、整えていく座禅や、歩行禅というものを実践することで、
自分自身を取り戻そうとしていた。
そうした中でヨガに出会い、玄米菜食に出会い、それらを取り入れる中で起こる変容を味わっていた。
ありたい、ありかた。
そんな変化が少しずつ自分を、会社を辞めることに向かわせていた。

自由になりたいという思いかもしれない。

そしてそうやって、会社を辞め、
それからすぐに、今思えば、たった2ヶ月後に、
日本の自衛隊がイラクに派兵されるということを聞いたことをきっかけに、
「イマジン・ピースウォーク」という行進をした。

デモをしようという仲間が現れ、その仲間同士がいざこざを起こしている様子を見ていた僕は、
ピースウォークにしないかと提案した。

自分自身の祈りを、願いを、足元の一歩一歩に表す、ピースウォーク。
提案して、決定したのは、道路の使用許可をとってあった03年3月2日の、1週間前。

デモをピースウォークにしようと言い出した責任を感じたのか、
自分のことばに自分が突き動かされたのか、
いくつかの新聞の取材に応じて、自分の平和への思いを語り、
それら新聞の記事の助けもあって、500人ほどの人達と、
名古屋の町を歩くことになった。

僕は今でも、その時に始めた歩みの続きを歩んでいると思っている。

あのウォークの時に出会った瑞浪市に住む陶芸家の大泉讃さんから聞いた、
高レベル放射性廃棄物や原子力発電をとりまく、出来事の数々。
出会う、さまざまな人びと。

「一体僕は、何のために生まれてきたんだろう。」
ぜんそくで学校を休み、寝すぎて眠れない布団の中で、
部屋の天井の角のあたりをボーっと見つめながら、
何度となく唱えた言葉だ。

僕は今でも、その答を探しているのかもしれない。


始めは、存在価値を認めてほしくて始めたことかもしれない。

そして今、思うことは、
自分が何を求めていて、どうありたくて、どう生きたいのかが、見えてきた気がするということだ。

うちなる自分を見つめる目よりも誰かから見られる目を気にしてきた僕が、
この数年を通じてはっきりと、
自分の心から望むことと、心から望まないことが描けるようになってきたということだ。

僕は今、
六ヶ所村の再処理工場からの放射能汚染を食い止めたいという思いと、
それに対してベストを尽くせているわけではないという思いが入り交じっている。

やれることをやっていない。
そう思う部分もある。

口だけの部分もある。
怯えている部分もある。

怖かったり、警戒したり、いらだったり。

でも、僕はこのまま生きたいと思う。
それらを克服してから何かをするのではなく、
今このままの、アンバランスなままの自分で、
語らったり聞いたりしていきたい。

夢を描くことをやめなければ、
その夢は世界からなくならないと思う。

今の僕は、
自分についてプロフィールを書いてくれといわれても、
肩書きは何かと聞かれても、
ぜんぜん納得のいくそれを書けないくらい、自分の事を分かっていない。

ブックレット「わたしにつながるいのちのために」がとても売れている。
そのおかげで、家賃と光熱費は払えている。
「暦と時間のはなし」は、自分が仕事として対価を頂けると思えるようになってから、
実際に生活を支える(おもに旅)資金になるぐらいのことになっている。

そして、暦については、続けたいと思っている。
コミュニティが循環型であり、調和的であるために、
循環型であり調和的であるカレンダーを使って、
調和と循環を元にした関係性を保つための、暦と時間についての交流は、続けたい。

そして、放射能にまつわるすべてのネガティブなものが、ポジティブに変容するまで、
それらを見つめ、それらについて語らい、それらについて働きかけ続けたいと思っている。

自分の生きるすべてを、原発や核兵器のない未来のために捧げることを問われたらなら、
喜んでそうしたいと、心から思っている。
家族、兄弟を当然のごとく含めた、すべての仲間と、安心して暮らしていきたい。

今はまだ叶わぬ、戦争のない世界、殺し合いのない世界、
隠蔽や対立や分断や、汚染や被ばくのない世界を、
思い描き、思いを語らい、創造することをしたいと思う。

そう思えるようになってから、さまざまなことが変容してきたように思う。
それこそ親との関係も変わってきた。
自分自身の弱さ、いい加減さを認められるようにもなった。
前よりは謝れるようにもなった。
謙虚さも、少しは身に付いただろうか。
勇気も少しは育ってきたか。
でも一方で、まだまだ人を批判したり、攻撃するようなところはある。

とにかく、
いろいろ挙げたらキリがないが、自分が変容すると共に、自分の描く未来のヴィジョンは変容してきているし、
これからもするだろう。

いつ見失ったのか分からない、自分自身の心、願い、祈り。
いつ見つけたのかも分からないそれらを、見つけることが出来たときの喜び。

語ることばや行動や選択を通じて、それらの願いや祈りに応えている時の自分。

道を歩んでいるという実感。


再処理はとまるの?
とまっても誰も困らないの?
とイエスかノーかで聞かれたら困ってしまうしわからないとも言えるけど、
未来にはあらゆる可能性が用意されているとも思っている。

そして未来は、なぜかよく分からないけど、自分にかかっているということは、分かっている。

本当にすべての命とのあいだにつながりを感じ、
そのつながるいのちのすべてが幸せであるという祈りを捧げるなら、
僕は、自分が断ち切ったり、対立したり、拒絶したり、否定しているすべてに対して、
謝り、そして誤りや歪みやズレをただし、祈りとともにつなぎなおしていかなればならないだろう。

僕はどうしても、世界の放射能汚染を止めたい。

そのために、世界の放射能汚染を支えている自分自身を見つめていきたい。

放射能を思い浮かべるときに現れる、自分の中にある恐れ、不安、怒り、焦り、
無力感、罪悪感、様々な想念は、すべて僕自身が生み出したものであり、
それらひとつひとつを見つめ、認め、受けいれ、それを生み出した自分を認め、謝り、詫び、関係性をただしたり、癒したりすることで、それらとつながるあらゆることを、言葉にしたり、実践したり、創造したり、することで、それらはゆるみ、解けていくのかもしれない。

このブログを見ているあなたと、僕はどこかで会うのだろうか。
僕はそのとき、どこか怯えているかもしれない。
僕の話を会場で聞いているあなたが腕組みをしているだけで、
僕は拒絶されているかもしれないと思ってしまったりするかもしれない。

それでも、語り合い続けたい。

正直、僕は自分を分からないし、世界のことを知らない。
それでも僕は、この世界を愛しているし、今ここと、今あるこのつながりを大切に思う気持ちは、
満ち続けている。

道があることをただありがたく思える心境がある、
ということを教えてくれた今までの人生の中のすべての出会い。
そのありがたさを思い出し、感謝しながら祈り、歩みたいと思う。

おろかで忘れっぽい僕が、謙虚さを忘れず、感謝を忘れず、詫びを忘れず、賞讃とお祝いを忘れず(忘れなさそう)生きていけますように。

宇宙のすべての存在が、平和でありますように。

305【再処理工場は本稼働しない】

というヴィジョンが、はっきり見えてきた。

現在最終試験中だけど、あまりにもトラブルが多すぎる。
3月中に本稼働なんて、技術的にも無理だろう。
具体的には今、ガラス固化の段階で多くのトラブルが表面化している。
詳しくは、また書きます。

強引に押し進めることで、負担は現場の作業員にいく。
彼らは正月返上で働いていたらしい。
1月1日に、工場内で事故があった。
このことを聴いて悲しくなった。

放射能のこと、内部被曝のこと、彼らはどれくらい知っているんだろう。
ドキドキしたりハラハラした状況の中で働く彼らは、正月も休めていない。
事故が起きたのは、自分たちの状況を全国のみんなに知ってほしいからじゃないか、
そんなことまで考えてしまった。

なんとか会計年度内に本稼働したいのだろうか。
3月までに何とか、と焦り、ばれないようにこそこそし、不安にびくびくし、
そんな事業、うまくいくはずがないだろう。

彼らの無事と、これからの未来の彼らが、健康でリラックスしていることを祈る。

何かを隠しながら進めるって、しんどいことだ。
それがお偉いさんと言われる人であろうと、それが政治家であろうと、役人であろうと、
大企業でたくさんお金もらっている人であろうと、しんどそうにしている人を見るのは、つらい。

くりかえすけど、
事業を推進している彼ら、容認している彼らが幸せになれない事業なんて、うまくいくはずがない。

彼らが無事に、痛みや苦しみやプレッシャーを感じなくてもすむ、違う道を選べるよう、祈りたいし、
彼らの勇気ある決断をできるよう、全面的に支えたい。
そして、その決断にともなう、フォロー、では雇用はどうするんだとか、いろんなことを、共に考えていきたい。

彼らは、オレと分ちがたくつながる、尊い尊い兄弟。
ともに幸せになれる道を歩みたい。

この工場が本稼働することによって幸せになる人はいないだろうということが、より一層はっきり見えてきた。
自信をもって、胸を張って、止めるための動きをすすめていきたい。

ということで、
1月10日 岩手県藤沢
1月11日 宮城県仙台
1月12日 宮城県仙台
1月13日 青森県十和田
で、じっくりと語らってきた。打ち合わせとヴィジョンの共有。
取り急ぎ、伝えておきたいことありマス。

3月17日、青森県庁に行きます。
青森県知事が日本原燃との間で安全協定を結ばないかぎり、
工場は本稼働できません。
ということで、「安全協定を結ばないでください」という申し入れをしてきます。

そして、3月16日に仙台で集会を開きます。
三陸海岸の漁師さん、サーファー、農家さん、などなど、
色々な立場の方々の声を聞きます。
誰が集まるかや、時間帯や、会場など、趣意書や企画書のようなかたちで、
追って掲載していきます。
まずはこの文体で失礼。

そして、この日に寄せる形で全国から映像コメントを集めます。
会場のスクリーンと、ロビーのテレビモニターで流します。
もう、集め始めています。
あなたのコメントも、欲しいです。

1分程度のものを、 dvdかミニdvテープでください。
詳しい趣意書は、近日中に載せます。
でもって、差し支えなければ、you tubeやstickamでも載せます。

十和田の苫米地さん、七戸の哘さん、花とハーブの里のサワちゃん、
田中優さんなど、すでに色々撮って回っています。
あなたと出会ったとき、オイラはカメラを持っているので、
撮ってもいいって感じなら、気軽に声をかけてください。
3/16仙台のサイトやブログを開くと全国各地の老若男女のコメントがずらっと並んでいる。
そんなイメージです。

そして、3月16日は集いの後に街中を歩きます。
ジャンベ隊を募っています。
続々と集まっています。
我こそは、という人、かもーん。
もちろん叩けなくてもオッケイ。

また、
全国から3メートル×1メートル以内の横断幕を集め始めました。

再処理への思いなど、描いて送ってください。
それを持って歩きます。
3.17の青森にも運んでいきます。
あなたの町にオイラが現れた時に渡してくれてもオッケイです。

3/16、ウォークの後、市内の公園に集まります。
ひとりひとり、キャンドルに火を灯して、火を囲んで祈ります。
アコースティックライブもします。
花&フェノミナンのさっちゃん、
halkoさん(桑名晴子さん)、
がすでに決定してます。

いまんところ、すべて手弁当です。
カンパも募っています。

連携企画、何でもこいです。
どんどんアイデアください。

すべての命の未来のために、
私たちは語り、歩き、歌い、祈ります。

再処理工場で働く人びとが平和でありますように。
日本原燃の人びとが平和でありますように。
資源エネルギー庁の人びとが平和でありますように。
原子力保安院の人びとが平和でありますように。
再処理事業に携わるすべての人びとが、平和で健康な未来を生きられますように。
私たちの天命がまっとうされますように。
宇宙のすべての存在が平和でありますように。

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