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2008年5月28日 (水)

僕がワークショップとイベントを続ける理由

どうもどうも。

日記ブログを書くのはかなり久しぶりです。

さて。

僕は日々の多くを、

再処理や原子力に関する取材や情報交換・意見交換をしたり、

暦やお金といったテーマについてのワークショップやイベントをすることにあてています。

「ワークショップ」という手法を僕はとても信頼しています。

イベントを企画して実行するまでのプロセスも、それ自体がワークショップだと思っています。

「イベントで社会は変わらない」

という人もいるようですが、そういう人には、

「イベントを”とことん”やってから言ってくれ」

と言いたいっす。

そもそも僕も、社会を変えたくてやっているというよりは、

もっと本能的に、やりたいからやっているんですけどね。

呼ばれた場所には行くし、やりたかったらやる、会いたかったら会いに行く、

ということです。

そして、社会を変えようというよりは、自分の住みやすい環境を望むというだけです。

僕は2006年1月に今の団地に引っ越すまで、

2年ちょっとの間は庭付きの一軒家を借りていました。

ハーブや野菜もちょっとは育てていたし、

基本的に、ご飯はうちで作って食べていました。

専門学校で仕事をする時も、外出する時も、基本的に弁当持参でした。

今のように外に出向くよりは、家に誰かが来ることのほうが多かったし、

大抵いつも、誰かが寝泊まりしていたし、長い時には1か月の長期滞在者もいました。

飯を作ってみんなで食べるのが好きだったんですね。

で、僕はそのまま、もっと田舎に引っ越したいと思っていました。

田舎で畑をやりながら、お茶屋のような、ゲストハウスのようなものをやっていきたいと思っていました。

どこまで自給自足できるのか、それができるようになるまでどれぐらいかかるか、

実際にやってみないとわからないし、と、かなり具体的にイメージをしていました。

しかし、そのような自然志向が高まる中で並行して、

地元にある核施設の状況を中心に、ウラン利用を巡る様々な差別や隠ぺいがあることを知っていきました。

伝わっていなければいけないことが伝わっていないと、いきどおりすら感じました。

そして、そのいきどおりは、そのまま自分自身に返ってきました。

仮にもソニーミュージックという会社にいたことがあって、

イベントやワークショップの企画もしていて、情報も持っていて、

そして、動いたり意見を言う自由を持っている自分がこのままこの問題に関わることなく都会を離れて、田舎に引込んでしまっていいのか?

知らん振りをするのか?

今こうやって都会にいる意味はないのか?

すべきことはないのか?

今まで学んできたノウハウを生かさずに錆びつかせてしまうのか?

そして、

「今のこのような社会をつくっているのは、知っているのに黙っている、おかしいと思っているのに黙っているおれじゃないか」

という答えに行きついてしまいました。

結局僕は、悩みに悩んで、自分がおかしいと思うことに向き合うことを選ぶことにしました。

その選択は、とても怖いものでした。

反原発運動をする人たちが実際にどのようにプレッシャーをかけられたり、

公安から嫌がらせを受けたり、

警察からマークされたり、

社会から消されたり、

地域の中で孤立したり、

家族との関係を壊されたりしてきたかを、

僕は直接聞いて知っていました。

たった1回イベントをやるだけでも、かなりの勇気がいりました。

実際僕は、自分自身の恐怖と向き合うために1週間断食をしたり、

原発と自分とをつなぐために、自転車で名古屋から浜岡原発までを往復して、

感謝の祈りを捧げてきたり、そうやって覚悟を決めるためにいろんなことをしました。

そしてわかりました。

おれみたいにビビって現実から逃げる人がいるから、

現地で頑張っている人たちが孤立していくんだと。

であるなら、僕は現地でたたかうことはできないけど、

現地の人たちを孤立させないことは出来ると思いました。

そうして「平和のわ」というイベントをやったのが、2004年12月26日でした。

超深地層研究所の話、

浜岡原発の話、

自然エネルギーの話、

ヘンプの話を、

それぞれ専門に関わっている方々から聞く会でした。

これが僕のNO NUKESの活動の始まりです。

2005年2月にやった「第2回 平和のわ」では、

出来たばかりの「六ヶ所村通信NO.1」、

インドのウラン鉱山周辺の住民の姿を描いた「ブッダの嘆き」、

いわずとしれた「ホピの予言」の上映、

ソーラーパネルの組み立て・発電ワークショップ、

「原発震災を防ぐ全国署名」を街頭で集めるウォーク、

福井県小浜市の明通寺住職の中嶌哲演さんのお話、

止めます浜岡原発本訴の会の東井怜さんのお話、

さらに音楽ライブを2本、

というもりだくさんの3日間のイベントを行いました。

しかし、当時、音楽イベントをやったりDJをしたりするときには来てくれていた仲間たちが、ほとんど誰も来てくれませんでした。

彼らにこそ伝えたかったことなのに。さびしい気持ちになりました。

その時のショックはかなり大きくて、

まさか今になって、こんなにたくさんの人たちと核の話ができるようになるとは、思ってもみませんでした。

ほんとにほんとに、びっくりです。

当時の僕の活動が、もともと核や環境に関心のある人たちにしか理解してもらえなかった理由はいろいろあるでしょう。

しかしそれらの理由の根本は総じて、

僕のあり方、生き方にあると思っています。

今でもそう思います。

僕自身が開かれていかなければ、

僕自身が相手を理解することができなければ、

僕が相手に理解されることはないわけですから。

さて。

そんなこんなでイベントやワークショップというスタイルで環境や核に関わっていくことになった僕の、ワークショップ、イベント歴は結構長くて、20年ほどになります。

というのも、中学時代に生徒会役員を二期務めていたので(会計→会長)、

話し合いを仕切ったり、文化祭や体育祭などの大型行事から、日々の小さな集会まで、アイデアから企画・制作・運営をひたすらやり続けてきたのです。

当時の僕は、仕切るのが大好きでした。

大学時代には友人のアマチュアバンドのマネージャーとしてライブのブッキングやレコーディングなどを取り仕切っていました。

そして、ソニーミュージックに4年間勤務し、

(深い深い挫折感と無力感を味わいながら)2003年に退職し、

2003年の4月から2006年の3月まで、名古屋の音楽系専門学校で非常勤講師をしていました。(深い深い・・・についてはまた書きます。書かないかもですが。)

非常勤とはいうものの、1年目はほぼ毎日学校に通い、

イベント企画のワークショップ、コンサートツアーの企画・制作ワークショップといった、

実際にイベントを立案し、話し合い、制作・運営をしていく授業や、

ブレインストーミングやアイデアの整理、相手の話を上手に聞く、

などといった、コミュニケーションスキルを上げるためのワークショップなどを行っていました。

設立されてから間もない学校だったこともあり、

イベントを企画・運営・制作するプロセスを丸々監督できる人がいなかったこともあり、

学校内で行われるイベントのほとんどに関わっていました。

そして、ワークショップやイベントの大切さを実感しました。

入学してすぐの授業では必ず、

「自分のやりたいことを100個以上書き上げる」

という課題を出しました。

何の説明もなく「さあ。書いて。」と言うと、

さらさらと書きだせる学生は数えるくらいしかいません。

「実現してもしなくてもいいから書いて」

「書いたことに責任持たなくていいから」

「書いたことがいいことだとか、間違ったことだとか、判断しないで書いて」

などと補足してあげると、少しずつ筆が進みます。

それでも、50個以上書ける学生は半分以下。

「自分のヴィジョンがない」

「自分のやりたいことがわからない」

「自分に規制をかけている」

「自分に自信がない」

「間違えたらどうしよう」

「怒られたらどうしよう」

といった症状が、かなり深刻に表れているのでした。

学校の仕事を始めた最初の衝撃は、これでした。

そして、高校までの教育の影響の根深さを痛感しました。

自分で考えられないのです。

親や学校から押し付けられた

「あれしなさいこれしなさい」

「これを覚えなさいあれを覚えなさい」

「これはしてはいけませんあれはしてはいけません」

といった、あらゆるレベルでの命令。

世に蔓延する上意下達のコミュニケーション。

あまりにもこういったコミュニケーションに慣れさせられてしまって、

感覚がまひしてしまっているのでしょう。

「あなたは何をしたいの?」

それを聞いてあげることから始めるしかないなと、その時思いました。

そして、ワークショップやイベントが、

そのようなカチカチに固まってしまった心を溶かしていくさまを、

僕はこの3年間で目の当たりにし続けてきました。

自分たちで考えて、話し合って、準備したことが形になる。

一緒に味わって、振りかえって、改善していく。

そのプロセスを仲間たちと共に味わうことで、

学生たちは、表情から話し方から、まるっきり変わっていきます。

特にイベントに中心的に関わる学生たちの中におこる、

勇気、主体性、当事者性、責任感といった内的成長は、

本当に目覚ましいものでした。

本当に本当に、僕はとても驚き、とても心が震え、感動していたのでした。

さて。

僕は、自分自身が体験した、こういった学生たちの変容の様を見ながら、

教えるよりも引き出すことが大切だということに気づいていきました。

そのことが、学生ひとりひとりを育てるし、僕自身を育てるし、

その間にあるコミュニケーション、信頼関係を育てるし、

何より、そうやって学生たちとガチンコで付き合うことがとても心地よかったのです。

学校への勤務3年目には、前述のような環境や平和、エネルギーなどをテーマにしたイベントを開いていくことに力を注いでいましたし、学生達に手伝ってもらうことも少なくありませんでした。

僕がそういったテーマに向き合うようになっていった原因のひとつは、

彼らの見つけた「やりたいこと」を見つめていく生き方に感化されたことにあります。

「いかに生きるか」を彼らに問う中で僕はおのずと、

自分自身の生き方を今まで以上に深く見つめるようになっていったのだと思います。

そうやって平和、環境に関する市民運動にかかわっていく中で、

また、社会人向けにワークショップを開いていく中で、

さらに、行政の人びとと話をする中で、

いかに「自分でものを考えられる人が少ないか」を痛感しました。

「あれ?学生だけじゃないじゃん?」

という驚きにも似た気づきは、

「もしかしたら学生よりも根深い?」

という発見につながり、

社会全体がこのような主体性・当事者性のなさの総和によって成り立っているようにすら思えてきました。

学校の中だけと思っていた「主体性がない」という症状が、

学生たち以上に根深く「大人」と言われる人たちに蔓延していると実感したのです。

上からものを言うことに慣れている人々と、

上からものを言われることに慣れている人々による社会、ということです。

そのことが、

民主主義が機能しない原因、

原発が動き続ける原因、

米軍基地がなくならない原因、

漁業・農業が衰退している原因、

大量生産大量消費がとまらない原因、

になっていると思い至りました。

学校的な企業、役所。

一方的なメディア。

そんな組織の構成員自体が、

教育を受けていたころからどっぷりとそのスタイルに染まっていることで、

自覚症状もなく、対立的、命令的な人間になるか、「思考停止」状態の人間になるか、

そのどちらかに向かって一直線に育っているように思えてきました。

電気を作ってもらっていること。

水を運んでもらっていること。

道路を作ってもらっていること。

野菜や穀物を作ってもらっていること。

さまざまな道具を作ってもらっていること。

自分にはできないこと。

誰かに頼んでしてもらっていること。

その事実を忘れてしまっているなら、

当たり前にそうなってしまっているなら、

それは「思考停止していること」になるし「主体性がない」ということになるでしょう。

自分たちのことを自分たちで考えること。

自分たちでやってみること。

自分たちのお金がどのようにまわっているのか?

自分たちのまわりに足りない情報はどんなものなのか?

自分たちはどれぐらい食べていて、どれくらい自分たちで作れているのか?

自分たちはどれくらい電気を使っていて、どれくらい自給できるのか?

と疑問を持ち、その疑問と向き合い続けること。

その問いと語らいをする場、実践する場がワークショップです。

地域や国の仕組みをいきなり変えるのも無理でしょう。

メディアからの情報もいきなり様変わりすることは難しいでしょう。

自分の職場環境をいきなりかえることも難しいでしょう。

そして、だからといって「ま、仕方ないか」で過ごしていたら、日常に埋没してしまいます。

だからこそ、ワークショップやイベントが効いてくるのだと思っています。

少しずつでも、変わるはずです。

僕は学生たちとの交流を通じて、そのさまをこの目で見てきました。

学生たちに起こる変容が、僕たちの間に起こらないはずはないと思っています。

そしていま、僕はその変容を日々感じています。

「自分たちでやれること」

がわかってくると、

「自分たちだけでやれることには限界がある」

ということにも気づけます。

「自分にはできない」

ということを体験を通じて気づくことで、

「自分にできないことをやってもらっている」

という気づきが生まれ、感謝がうまれるでしょう。

電力会社に、

水道局に、

お店に、

メーカーに、

自治体に、

感謝ができるはずです。

そして、主体性を持った上での同じ目線で、

いろいろと提案したり話し合ったりも出来るようになるでしょう。

「誰かにやってもらうのではなく、自分たちで話し合い、自分たちでやってみる」

を通じてこそ、

「誰かにやってもらっていることで、自分は生きている」

という、今のシステムへの感謝が生まれ、

今のシステムへの当事者意識が生まれ、

そのシステムを良い形で変容させていけると信じています。

今の世界の中で、

今の時代の中で、

様々な方法論が掲げられ、実践されています。

その中で僕は、僕が人生の中で出会った気づきを元に、

僕の大切だと思うやり方を続けるでしょう。

僕は、僕が大切だと思うことしかできません。

僕の好きなことしかできません。

でないと続かないです。

「再処理工場を止めるには国会議員に働きかけるしかない」

と頭ごなしに言われたことがあります。

それは、とてもとても理にかなった意見だと思います。

でも、それが直接できない人もいるのです。

僕はそういう言い方をしたくないです。

「あなたはどうしたらいいと思いますか?」

のほうが好きです。

「国会議員に働きかけている人がいるよ」

ということを仲間に伝える、広める。

それだって一つの運動だろうし、

もっと言ったら、

「国会議員に働きかけている人にご飯を作る」

だって立派な運動だと思うのです。

長い長い歴史の中で、

弾圧や圧政や侵略や殺戮や、

封建社会や、

差別社会や、

階級制度の中でできなかったこと。

それは、

思う存分自分を探すこと。

自分と出会うこと。

今の時代なら出来るはずです。

今の時代に必要なのは、それだと思うのです。

長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。

旅の様子、ワークショップやイベントの様子も少しずつ書いていきたいと思います。

では。

感謝

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